平成22年春の叙勲受章―南茂夫先生の「お礼ご挨拶と叙勲雑感」

友電会だより | 2010年7月30日 16:52

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   南茂夫先生が受章された「瑞宝中綬章」の勲章  ㊨南茂夫先生ご夫妻

●平成22年春の叙勲受章―南茂夫先生の「お礼ご挨拶と叙勲雑感」

  「平成22年度友電会通常総会・合同懇親会」は6月26日(土)に母校・寝屋川キャンパスのJ号館で開催された。「通常総会」の後、平成22年春の叙勲で「瑞宝中綬章」を受章された母校の元学長(第7代)・南茂夫先生の記念講演会と「南茂夫先生 春の叙勲受章祝賀会」が催され、約200名が出席し、先生を祝福した。南茂夫先生からの「お礼ご挨拶と叙勲雑感」です。

 

■お礼のご挨拶と叙勲雑感
       2010年6月26日 南 茂夫

 この度、はからずも教育研究功労により瑞宝中綬章受章の栄に浴し、その申請過程から受勲に至るまでの、周りの方々のご尽力や関係省庁の皆様のご苦労を初めて知ることができ、感謝に堪えません。叙勲関係については全く無知であった事を反省しつつ、この度の貴重な体験と自分なりの思いをここに纏めてみることにしました。
 叙勲は元々公務員経験者が主対象だったのですが、近年官尊民卑の打破が叫ばれ、民間人も叙勲対象になってきたことは喜ばしいことです。しかし、今でも勤務年数の永い元公務員がほぼ六割を占めているようです。国立大学教授の場合でも同一大学における勤続年数が極めて重要になります。以前は十年でしたが、そのうち十二年となり現在は十五年です。教授勤続年数をクリアしておれば、現在では特別な例を除いて八十歳前後で叙勲されます。私の場合教授勤続年数が二年不足することから、阪大側では私の後継者の教授を中心に研究室OBの方々が阪大事務局と相談し、学長別枠申請ルートを使って大阪電通大から申請した方が有利であろうとの結論になったようです。
 大阪電通大の法人事務局が申請元となる形で、阪大側とも相談しながら詳細な資料を作成して頂くこととなり、福田理事長を始めとする法人事務局の皆様には一方ならぬご尽力を賜りましたこと、ただただ感謝するばかりです。阪大定年時に事務局に提出した論文・著書などの業績リストに加えて、新聞記事を含む大阪電通大時代の全業績を集大成する必要があったため、最近の論文まで総てを網羅した資料作成は大仕事でした。さらに、私の詳細にわたる履歴を年月日まで調べて頂いた上、学会法人歴のなかで歴代会長がどのような功績を持つかなど、文科省からの矢継ぎ早の問い合わせに的確に対応して頂いた法人事務局総務部の方々には、お礼の言葉もありません。お陰様で、直近の業績までもが審査対象になったこと、また大阪電気通信大学の肩書きで叙勲の栄に浴しえたことをとりわけ嬉しく思っております。
 公務員としての勤務年数だけが申請の最低必要条件である点に疑問がありますが、申請者が多くなり大学間のバランスも考えると止むを得ない事でしょう。勲章を頂く方々の多い国立大学人社会の中にあって、貰わないと格好がつかない面も無きにしもあらずです。「あの人はもう貰っていい筈だが、まだなのは何か罪でも犯したのでは」と噂になるからです。事実、交通違反を含めて犯歴は徹底的に調べられ、また、組織の長であれば、組織構成員の犯罪があってはならないのです。
 毎年、叙勲の内示は閣議決定の約一ヶ月前に、申請元である機関や団体にメールで通達され、受勲候補者自身の受勲の諾否が問われます。承諾書にはこのほかに申請期間中の犯歴の有無の記入や伝達式と拝謁出席における付き添いの有無、車椅子の要不要などが尋ねられます。宮中行事への参加は夫婦同伴が原則のようです。今回は四月二十三日の閣議決定の次の日に、当事者本人宛の文部科学省大臣官房人事課栄典班からの速達が届きました。公式決定となるプレス発表は四月二十九日みどりの日であり、それまでは緘口令が敷かれています。とはいえ、閣議決定後間もなく祝典行事専門会社などからどっとパンフやカタログが届くのには驚きました。

 本年の文部科学省関連の伝達式と天皇拝謁は五月十一日(火)であり、中綬賞以下のすべての勲記・勲章の伝達は国立大劇場で行われました。当日は生憎の雨、玄関口周辺の混雑の中で文科省の職員方がスムーズに受付を進めました。開式は午前十時三十分です。国歌斉唱、勲章伝達、東京芸大教員のお琴による祝賀曲奏楽、川端文部科学大臣の挨拶、受章者代表の挨拶と続き、丁度三十分で閉式となりましたが、まさに秒読みでの進行は見事でした。拝謁のための皇居への出発は午後一時十分、その間に軽い昼食をとる必要があり結構慌ただしい時を過ごします。用意された観光バスに分乗して静かに皇居に向かって進み、宮内庁の横を抜けて宮殿に到着、長和殿春秋の間での拝謁となりました。
 侍従の先導で静かに入ってこられた天皇陛下は先ず正面に立たれてご挨拶、受章者代表の答礼挨拶が行われます。その後、陛下は整列した受章者夫婦の前を笑みを浮かべながらゆっくりと歩まれますが、車椅子の方や杖を携えた方には、一人一人に近づいて丁寧にねぎらいのお言葉をかけられるのには感激でした。陛下の実に多忙なご公務の一端を垣間見て、ご体調を気にするのは私一人ではなかったでしょう。拝謁の後、バスの号車ごとに記念撮影ですが、当日は雨天のため室内での撮影となりました。皇室では五穀豊穣のための雨は吉とされるといいますが、雨に清められた皇居内の鮮やかな緑は吉を呼ぶに相応しいものでした。拝謁が行われた春秋の間は、丁度九年前家内が藍綬褒章を受章したときに夫婦二人で拝謁の栄に浴したところであり、感慨も一入でした。
 やっとホテルの一室で現実に戻ったとき、伝達式の待ち時間に誰かが話していた、旧制大学出身者の叙勲はぼつぼつお終いだという言葉を思い出しました。やはり長生きのご褒美という事でしょうか。その日ホテルで偶然に見つけた新聞記事は、日本人の平均寿命が男性は七十九歳、女性は八十六歳になったと報じていました。何はともあれ、夫婦元気で何とか天皇陛下拝謁の栄に浴し得たのは幸運というべきでしょう。いろいろな方々に支えられてここまで生きてこられたことに、ただただ感謝あるのみです。

 終わりになりましたが、このように盛大なお祝いの会を催して頂きました大阪電気通信大学友電会、クラブ同窓会ならびに緑樹会の皆様に心からお礼を申し上げますとともに、今回の私の受勲のために計り知れないお力と時間をお割き下さいました大阪電気通信大学理事長はじめ法人事務局の方々に深甚なる謝意を表します。本当に有り難うございました。現役時代からこれまで周りの皆さんに支えて頂くばかり、これといった教育研究指導もできないまま、教育研究功労で勲章を頂くとは思いもかけませんでした。天皇陛下から賜ったお言葉の結び「これから皆さんは体に気をつけ、それぞれの道でご精進ください」を拳々服膺し、今後も社会へのご恩返しのために些かなりとも努力を続ける心算です。皆様の今後のご健勝とご多幸を祈りつつ、厚く御礼を申し上げます。

 

●南茂夫先生―母校の第7代学長として教育研究に貢献

 南茂夫先生は平成4年に大阪大学を定年退官し、母校に赴任しました。平成8年に母校の第7代学長に就任し、教育・研究面で10年間にわたって貢献され、発展に尽くされました。81歳になられた現在も「モノづくり」の面で各方面で活躍されています。
 友電会に対しましても、これまで本部総会・懇親会はもとより神戸支部や京都支部などの総会・懇親会に出席され、講演されたり、親しく懇談されています。

●南 茂夫(みなみ しげお)先生の略歴
 昭和 4年大阪生まれ
 昭和 26.03   大阪大学工学部精密工学科卒
 昭和 30.05 ~ 大阪大学工学部精密工学科教務員
 昭和 33.11 ~ 米国オハイオ州立大学理学部物理学教室研究助手
 昭和 39.07 ~ 大阪大学工学部応用物理学科助教授
 昭和 55.06 ~ 大阪大学工学部応用物理学科教授
 平成 04.03   大阪大学工学部退官
 平成 04.04 ~ 大阪電気通信大学工学部電子工学科教授
 平成 04.04 ~ 大阪大学名誉教授
 平成 08.04 ~ 大阪電気通信大学学長
 平成 14.03  大阪電気通信大学学長退官
 平成 14.04 ~ 大阪電気通信大学名誉教授・短期大学部名誉教授
 工学博士。専門は応用光学、科学計測学