日本知能情報ファジィ学会主催の産業技術交流会1

友電会だより | 2005年1月27日 17:19

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(参加のお礼を述べた後、南・西村の両先生の略歴を紹介する湯場崎実行委員長。
回を重ねるごとに講演会などの充実ぶりが目立った)


日本知能情報ファジィ学会(福田敏男会長、名古屋大学教授)主催の 産業技術交流会は 京都支部総会 の後、会場をかえて行われた。 第一部が基調講演、二部徹底討論、三部懇親会のスケジュール。 ゲストスピーカーは大阪電気通信大学前学長、南 茂夫先生と花園大学学長、西村 恵信先生の二人。 同交流会大会委員長で母校・通信工学科6期卒の湯場崎 直養氏が司会を担当、 科学技術の将来像や仏教思想と科学などについて貴重な講演があった。

◆ 基調講演

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「技術屋」と自認する南先生。
元気を出せ技術者―と熱弁をふるい、参加者を感嘆させていた。

基調講演は、プロフィール紹介に続いて南名誉教授が 「日本の科学技術の現状と将来像―モノづくりとヒトづくり―」と題して講演した。 『技術屋』を自称する南名誉教授らしく、1950年から今日までの半世紀の技術者を取り巻く社会情勢の変化を、 その時々の事象を織り混ぜながら解説された。
敗戦、復興、隆盛、そして戸惑い...。 南名誉教授は「日本は伝統的な勤勉さと飽くなき未来への挑戦で敗戦から10年で世界を瞠らせる復興を遂げ、 15年ほど前までは『最早外国に学ぶ技術なし』と豪語した」と、隆盛の時期を分析する。
しかし、「欧米という先人によって開かれた道を舗装しながら進んできた我々は行き着くところまで到達し、 目前に突然広がった荒野を前にして竦んでしまった」と、「技術模倣の伝統」から脱け出せず、 「ビジョンを描けない上司」や「指令待ち人間の若い技術屋」が出現した昨今の情勢を嘆く。
「こうした構図が、わが国技術者全体の元気のなさに繋がっている」という南名誉教授は 「逆境をチャンスととらえる技術屋もいる。 二極化が進む中で知的技術力と自信を取り戻すことが逆境脱出のポイント」と説く。

南名誉教授は、さらに台頭する中国、台湾、韓国について解説。 中国からの留学生の教え子を例にしながら「日本の学生とは目の輝きが違う。 当然、ぶつける質問も違う」といい、こうした情勢の打破に、 「大学の人材育成能力の向上」「知識人のネットワーク」などを挙げる。

若者の基礎学力不足についても危機感をもっている。 ゆとり教育、家庭教育に触れ、「少年期には個性などというよりも初等基礎学力の強制トレーニングが必要である。 理科好きの少年層を厚くするには家庭教育をないがしろに出来ない」としている。

ブランド企業の不祥事も、こうした家庭教育欠落の一因という南名誉教授は「しつけ教育が大切」と断言。 「『科学技術力で世界のトップを走っている』といわれるよりも 『犯罪のない国。落し物や忘れ物が必ず戻ってくる国』と賞賛される精神文化度の高い国を目指すことを忘れてはならない」と、 科学技術に支えられた的物質豊かさの背骨の「足るを知る」ことを提唱する。

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当日配布された討論資料で、湯場崎直養大会委員長の
論文「科学と技術の原資とその現状に対する一考」に感銘したと言う西村先生。
仏教と科学の融合が夢ではないなどと語った。

続いて演壇にたった西村学長は「日本の科学の原資とは」をテーマにされ講演された。 心を置き忘れにした科学技術の進歩に警鐘を鳴らす西村学長は、 クローン技術などを念頭に「何の精神性もない、そんな中で科学だけ進歩することは知恵ある悪魔をつくること」と、 バランスのとれた科学技術者の登場を期待する。

講演に続いて質疑応答、自由討論が行われた。 会場からは「トータル的に物事を考えて製造業をやって行くポイントは?」とか 「西村先生の著書で講演の内容がわかるものは?」などの質問が出ていた。
自由討論では、西村学長が「ナンバーワンでなくオンリーワンを」とアピール。 参加者は「心のこもったモノづくり。ニーズでなく社会、世界へ貢献するモノづくりが大切だとわかった」と応答していた。

南名誉教授は最後に、「使命感を持った技術一筋の人は好い顔をしている。 大学での教養の講義はインテリのアクセサリー」と、頭でっかちな技術屋の出現を戒め、心の大切さを訴えた。

南先生の公園収支「日本の科学技術と将来像」

こちらからPDFがダウンロードできます

◆ 基調講演者・パネリストのプロフィール
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文責:湯場崎直養


基調講演者

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南茂夫(みなみしげお) 科学計測スペシャリスト

大阪大学名誉教授/大阪電気通信大学名誉教授/大阪電気通信大学・前学長

1929年(昭和4年)1月22日、三重県で誕生され、現在75才。
大阪大学工学部精密工学科を卒業。
旧制大阪大学大学院(研究奨学生)を修了され、工学博士(大阪大学)。

■職歴
オハイオ州立大学助手、大阪大学助手、同助教授を経て1980年(昭和55年)、 大阪大学教授(工学部 応用物理学科 計測学講座)に就任される。
1992年(平成4年)大阪大学定年退官後、大阪電気通信大学教授(工学部 電子工学科)に就任される。 その後、大阪電気通信大学工学部長、同図書館長を経て、1996年(平成8年)、同学長に就任される。
2002年(平成14年)、任期満了で大阪電気通信大学を退職される。
現在、科学計測スペシャリストとして、科学計測法、機器開発のコンサルタントとして活躍されている。

■主な所属学会
(社)応用物理学会(会長を歴任)、(社)日本分光学会(会長を歴任)、日本分析化学会、
計測自動制御学会、日本ME学会、米国光学会、米国分光学会などの会員

■専門分野
分光計測、医用計測など科学計測法と関連機器開発ラボラトリーオートメーションシステムの開発

■主な著書
光測定ハンドブック(朝倉書店)、分光技術ハンドブック(朝倉書店)、
科学計測のための波形データ処理(CQ出版)、はじめての計測工学(講談社)など

■主な報賞
島津賞、日本分光学会学術賞、日本分析化学会賞、米国光学会フェローなど

■趣味
バロック音楽鑑賞、社交ダンス

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西村恵信(にしむらしえん) 花園大学学長

1933年(昭和8)年、滋賀県で誕生され、2才のときに父母の下を離れられ、 興福寺住職の野田宗寿和尚に就いて出家得度、臨済宗妙心寺派の僧籍に入られる。

花園大学仏教学部(禅学専攻)卒業後、南禅寺専門道場・柴山全慶老師の室に入られ参禅修行をされる。

1960~61年、米国ペンシルバニア州のペンデルヒル宗教研究所に留学され、キリスト教を研究される。

1970(昭和45)年、京都大学大学院文学研究科(宗教哲学専攻)博士課程を修了される。文学博士。

1970年以来、花園大学文学部教授として文学部長、図書館長、国際禅学研究所長、副学長を歴任され、 2001(平成13)年4月より学長に就任される。 そして、同大学内に文部科学省の認定による禅と教育に関する研究機関、「国際禅学研究機構」を設けられる。

現在は、学校法人花園学園常任理事、財団法人禅文化研究所常任理事などを兼任され、 日本宗教学会理事、東西宗教交流学会副会長を歴任された。また、仏教とキリスト教との対話のため、 仏教側の代表として国際的に活躍されている。

著書には、「己事究明の思想と方法」、「迷いの風光」、「私の『仏教徒であることの条件』十牛図」、 「白隠入門」、「人生は旅、そして別れ」、「キリスト者と歩いた禅の道」(以上、法蔵社)、「無門関」、 「西田幾太郎宛鈴木大拙書簡」(岩波文庫)、「夢中問答」(日本放送出版協会)、 「露の光るように」(ノンブル社)、「躍動する智慧」(中央公論新社)ほか多数がある。

近著には、「続・三余居窓話『禅坊主の後ろ髪』」((財)禅文化研究所発行)がある。 これは西村先生の禅話エッセイ集で、とくにとかれぬ、いうにいわれぬ禅坊主の後ろ髪を、軽妙酒脱を物語れている。

また、この1年には、「宗教講演集12」(花園大学宗教部)、「いい子に育つ仏のことば」(小学館)、 「無問関 プロムナード」(禅文化研究所)、そして35冊目の著書となる「仏教徒であることの条件」(法蔵館)を出版された。

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湯場崎直養(ゆばざきなおよし) 大会委員長
マイコム株式会社社長/Nyden Corporation(米国)社長・CEO/ Mycom Technology (Singapore) Pte. Ltd.(シンガポール)会長/Mycom Korea Inc.(韓国)相談役/ Mycom Technology Inc.(台湾)最高顧問

1946年(昭和21年)3月12日、京都市で誕生、現在58才。
子供の時から無線(ラジオ)少年。 京都市立洛陽工業高等学校電気通信科を経て大阪電気通信大学工学部通信工学科を卒業。 ファジィ理論の研究「単一入力ルール群重視度結合型ファジィ推論モデル(SIRMs)およびそのファジィ制御応用」により 東京工業大学の博士(工学)。

■職歴
大阪電気通信大学の学生であった1968年(昭和43年)9月に、 現在のマイコム株式会社の前身を個人創業する。当時の立石電機株式会社(現在のオムロン株式会社)の協力工場として、 1978年(昭和53年)頃までマイクロスイッチやリミットスイッチに始まり、電卓、電子タイマー、電子血圧計などを生産する。
1970年(昭和45年)9月、個人創業を法人の松本電機株式会社に改組、社長に就任。 また1973年(昭和48年)9月には、マイコン開発設計を行う株式会社マツモト技研(後に解散)を設立、社長に就任する。
1980年(昭和50年)以降は、ステッピングモータとその周辺制御機器の事業に特化、 製品の商標を「MYCOM」に制定したのを機に、社名をマイコム株式会社に変更。 また、台北事務所(台湾)の開設に始まり、台湾・韓国・米国・シンガポールの順で海外拠点(現地法人)を設立し、 社長または会長に就任する。
1983年(昭和58年)9月、総合化学プラント会社、 東洋エンジニアリング株式会社のLSI開発生産ベンチャービジネスとしてユニテック株式会社(後に解散)の創業に参画し、 社長に就任する。

■主な所属学会
日本ファジィ学会(2002年まで副会長)、バイオメディカル・ファジィ・システム学会、研究・計画技術学会などの会員

■専門分野
意識概念、(意識概念による)知能科学手法を用いた制御システムの研究、精密モータ制御など

■主な著書
単著:知能工学シリーズ6「知能技術方法論」 昭晃堂(1998年)、他
共著:
・Fuzzy Logic - State of the Art, Kluwer Academic Publishers.
・Information Engineering, Harbin Engineering University Press.
・Soft Computing in Mechatronics , Physica-Verlag
・他

■趣味
イージーリスニング(ハワイアン・ジャズギター)